松本あめ市

「あめ市」 「松本あめ市の起源」

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<あめ市>
ダルマを売る子供達 2004年1月11日
この日は松本の市街地は歩行者天国となり、「福飴」を売る屋台などが並ぶ。
右の写真が福飴。塩俵の形をした「カマス飴」、白い棒状の「スボウ(スホウ・スーホー)」、「オカメ」と呼ばれる金太郎飴、等が入っている(1袋500円)。
餅米で作られており、口に入れるとふわふわととけてきておいしい。

また左の写真のように、子供達による"縁起物"の販売、というのもある。
これは商家に生まれた子供に商いを覚えさせるために始められたもので、大正時代にはすでに行われていたらしい。

袋に入った福飴 福飴 現代では、「あめ市」ということで「全国あめ博覧会・即売会」が開かれたり、飴細工職人の屋台が出たりもする。
神輿のお練り、太鼓の披露、獅子舞などが行われる、賑やかなお祭りである。
※「あめ市」は豊科町や松本平各地で、1月から2月にかけて行われている。 (このページのトップへ)



<松本あめ市の起源>
牛つなぎ石 戦国時代、塩の供給を絶たれて困っている武田信玄に上杉謙信が塩を送り、永禄11(1568)年1月11日、松本に届いた故事が由来とされている。
左の写真が、そのとき塩を運んできた牛がつながれていたといわれる、「牛つなぎ石」。

しかしこれは伝説であって、今でもその真偽が論じられている。

元々は年の初めの「初市」に清めの塩が売買されたのが、その起源としては有力らしい。
それが江戸時代に入り固形の飴が誕生したことで、全国的傾向として"塩の市"が"飴の市"へ移行していったようだ。

なお、昔は1月10,11日に行われていたが、今では11日頃の土日に行われるようになった。

(参考文献:郷土出版社『きょうの出来事・信州歳時記366日』、松本市立博物館『松本あめ市調査報告書』、高美書店『松本のあめ市』)(このページのトップへ)



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